かつてお笑い番組でお茶の間の人気タレントだった田代まさしさん(63歳)が2019年11月初旬、宮城県塩竈市の宿泊施設並びに東京都杉並区の自宅マンション敷地内に於いてそれぞれ覚せい剤を所持していたとして、2件の覚せい剤取締法違反(3回目)の容疑で再び逮捕されました。
そしてその後ですが、年末にひっそりと釈放されていたところをフライデーされました。
そこで今回は、田代まさしさんの釈放に協力した人物や保釈金がいくらだったのかなど調べてみました。
目次
田代まさしの保釈金っていくら?佐藤秀光氏との関係は?
田代まさしの保釈金がいくらなのか、佐藤秀光氏との関係など気になる部分を調べてみました。
田代まさしの保釈金っていくら?
保釈金の額は、どのような犯罪を犯したか、被告人の性格及び資産など被告人を取り巻く様々な実情を考慮して、裁判官が決定されるそうです。
一般の覚せい剤事犯(初犯)の場合の相場はだいたい200万円前後だそうです。
同じ芸能人で覚せい剤で起訴された酒井法子さんの場合は保釈金は500万円だったそうです。
今回の保釈金がいくらだったのかをいろいろ調べたのですが、明確な金額は出てきませんでした。
芸能人の薬物による保釈金は度々話題に上がり金額も公表されますが、田代まさしさんに関しては公にされていないみたいです。
わからないと余計知りたくなるのが人間ですよね(;^_^A
情報を入手したら追って追記したいと思います。
佐藤秀光氏との関係は?
佐藤秀光氏は、ロックバンド「COOLS」のリーダーをされており年齢は68歳、田代まさしさんより5歳年上となります。
そして今回の保釈にあたって、保釈金を用意して「後見人」になったのが佐藤秀光氏。
二人が親しく付き合うようになったのは、2018年5月からツーリングイベントで一緒になったのがきっかけだったみたいです。
田代まさしさんと佐藤氏は、知り合って2年も満たない関係なのになぜ佐藤氏は保釈金を支払い、後見人になったのでしょうか?
佐藤氏からは公に語られてはいませんので、心境はわかりませんが、田代まさしさんにとっては恩人には違いあまりませんので、佐藤氏の厚意にも応えるために田代まさしさんには今度こそ更生してもらいたいですね。
主な有名人の薬物絡みによる保釈金額
参考までにその他の有名人の薬物絡みによる保釈金額を調べてしました。
- 槇原敬之(2回目) 保釈金500万円
- 沢尻エリカ 保釈金500万円
- 新井浩文 保釈金500万円
- ピエール瀧 保釈金400万円
- 元KAT-TUN 田口 淳之介 保釈金300万円
- 小嶺麗奈 保釈金300万
- 清原和博 保釈金500万
- ASKA 保釈金700万
- 酒井法子 保釈金 500万
- 高知東生 保釈金 500万
- 押尾学 保釈金 1000万( 一緒に違法薬物を服用した女性を置き去りにし、死亡させていた保護責任者遺棄致死の罪も問われたため )
田代まさしの盗撮や違法薬物による逮捕歴
そんな人気絶頂の田代まさしさんでしたが2000年(平成12年)に女性の下着を盗撮しようとして、東京都迷惑防止条例違反で書類送検されました。
この事件でテレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と苦しい弁明をした会見は当時のテレビで連日報道され有名になりました。
この事件を皮切りに風呂ののぞき見や、覚せい剤の使用・所持などで逮捕されるなど、相次ぐ不祥事を起こし、テレビから姿を消すこととなりました。
保釈後に現れた公の場所とは?
5度目の違法薬物による逮捕から、昨年のクリスマスにひっそりと釈放されていた田代まさしさん。
保釈から5日後に公の場に現れたのは、千葉県匝瑳市で開かれた「忘年会ライブ」でした。
ライブを主催したロックバンド「COOLS」のリーダー・佐藤秀光氏(68歳)さんが今回、田代まさしさんの保釈に協力されたみたいです。
田代まさし保釈後の行方は?
既に保釈され茨城県の更生施設に入所している田代まさしさんですがツーリングイベントで一緒になったのがきっかけで交流が始まった佐藤氏さんには感謝してもしきれないでしょうね。
佐藤氏を兄貴と慕うほどの信頼関係がそこにはあるのでしょうね。そんな恩人のためにも、今度こそ薬物を断ち切り真っ当な人生をやり直してほしいですね。
田代まさしプロフィール
私が子どもの頃はバラエティー番組によく出ていて人気のタレントさんでしたが、最近の若い人は田代まさしさんを知らない人もいると思いますので少し紹介したいと思います。
1980年(昭和55年)、鈴木雅之や桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員としてメジャーデビュー。デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーに。
その後フランスの高級ブランド、シャネルから物言いがついたことで(化粧品会社のCMソングを担当することになり、シャネルズというグループ名を使うことが不適切になったためという説あり)、1983年(昭和58年)に同グループが「ラッツ&スター」と改称されました。
その後、志村けんにそのお笑いセンスを見出され、1986年(昭和61年)頃からタレント、コメディアンとしても活動開始しました。その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMに何本も出演するなど人気を博していました。